地域のための薬草園を目指して
薬草園に隣接して,芝生広場のある市民公園があり,春や秋には遠足や家族連れで賑わっている.今から25年ぐらい前に薬草ブームが起こった頃に,市民から薬草園の一般公開に対する要望が寄せられ,本学が岐阜市立だったこともあり,昭和60年より一般公開が始まった.教育?研究を目的に設置された大学附属施設であり,一般来園者を対象とした施設ではないために,足もとがぬかるんだり,車椅子が通行できなかったり,トイレが混雑したりと決して見学向きとはいえない状態であったが,地域に開かれた大学を目指して,当初は5月~10月(8月を除く)の月,水,金曜日に教員,院生(生薬学講座)が予約見学者の対応にあたった.私も当時,大学院生として対応にかり出された.当時公開されている薬草園は少なく,珍しさも手伝ってか頻繁に大型バスによる団体見学があり,初年度は公開日64日間で3,043名(団体1,984名,個人1,059名)の来園者があり,その後も年平均2,000名の来園者があった.私にとっては,人前で話しをするよい練習場所になり,日中の殆どを薬草園で過ごすこともあった.いつしか珍しさも薄れて団体での見学は減ったものの,個人での来園件数が増えたこともあり,平成6年には園内誘導を目的としたガイドボランティアの公募を行い,平成7年に「岐阜薬科大学薬草園?薬草を学ぶ会」が38名でスタートした.ガイド内容に関しては,マニュアルに従った型どおりの解説ではなく,ガイドボランティア自身が経験などから身につけた知識をガイド自身の言葉で来園者と話をすることを目標にしていたので,あえて薬草解説のためのガイドマニュアルなどは作成されなかった.ただし,ガイドボランティア自身の知識習得のために,大学の講義室を借りて講習会を月1回開催し,また興味のある部門別にグループ活動を実施してきた.大学で講義を受けるということが好評を呼んで,会員数は一時140名を越えたこともあり,本学諸先輩の薬剤師の方をはじめ,定年退職された方,主婦の方など80名近くの方たちによりガイドボランティア活動が支えられて来ました.しかし,来園者の減少やガイドボランティアの減少が見受けられ,20年を越える歴史を持つ「薬草を学ぶ会」も転換期を迎えている.現在は,多くの来園者がまた来たくなる様なイベント企画をするために,ガイドボランティアの組織改革が行われており,新生?ガイドボランティアに期待を寄せている.