研究背景
抗がん剤を結合あるいは内包したナノスケールの微粒子は、正常組織への抗がん剤の移行が抑制されることによる副作用の低減に加え、がん組織へ選択的に抗がん剤を集積させることが期待されています。5年生存率が未だ 10% 未満の難治性固形がんとして知られる膵臓がんでは、コラーゲンやヒアルロン酸の堆積物 (細胞外マトリックス) が存在するため、膵がん細胞を攻撃する免疫細胞や抗がん剤を送達する微粒子の障壁となっています。しかし、粒子サイズを 10~30 nm 程度に制御した微粒子は、細胞外マトリックスの網目を潜り抜けて膵がん細胞まで到達できる可能性があります。(図 1)
ところで、デキストランは、自然界の乳酸菌によって産生される天然の多糖類であり、代用血漿 (医療用医薬品) として用いられています。すなわち、デキストランはヒトの体内に投与しても安全な親水性の高分子です。しかし、デキストランの水溶液をヒトの血液中に投与すると 3 時間程度で腎排泄されてしまいます。デキストランを親水性鎖とした微粒子をがんの患部に到達させるには、デキストランに疎水性の高分子を結合させた共重合体 (コポリマー) を合成し、水溶液中におけるその会合によってナノ粒子を形成させ、血液中における滞留時間を延長させることが重要であると考えられます。
これまで我々は、デキストラン粉末について高速ボールミル振動処理を行った試料の電子スピン共鳴 (ESR) スペクトル測定を行い、得られた ESR スペクトルの詳細な解析を進めたところ、2 種類のメカノラジカルと呼ばれる構造が生じていることを突き止めました。(N. Doi et al., Beilstein J. Org. Chem., 2017, 13, 1174-1183.) そのうち 1 つのメカノラジカルは未結合手と呼ばれる反応性が抑えられた構造であり、一方のアノマー位と呼ばれる部分に発生したメカノラジカルが、デキストランに新たな疎水性高分子鎖を導入するための反応に用いれるのではないかと考えました。
そこで本研究では、膵がん治療に適用される抗がん剤である 5-Fluorouracil (5-FU) を結合させた重合の可能な分子 (モノマー) について、デキストランに発生したメカノラジカルを開始剤とした重合を行い、新たなグラフト共重合体を合成しました。(図 2) 本重合法は、溶媒や触媒を一切用いることなく重合が進行する、環境負荷低減型の反応です。得られたグラフト共重合体は、界面活性剤と同様の原理で水溶液中にて会合するため、親水性のデキストランが水分子と馴染み、5-FU を結合した疎水性鎖が内側に隠れた構造をとるナノ粒子を形成します。
研究成果の概要
デキストランのラジカルを開始剤とした 5-FU を結合したモノマーの重合を 10 時間行ったところ、96% 以上の高い重合の進行が認められました。また、重合後の試料を分離精製し、得られたグラフト共重合体の分子量を測定したところ、その分子量は 29,000 g mol-1 であることが明らかとなりました。腎排泄の期待できる高分子の分子量が 40,000 g mol-1 以下であることから、得られたグラフト共重合体はナノ粒子として血液中に投与され、がん患部に抗がん剤を送達した後、体外への排出が可能であると考えられます。そして、得られたグラフト共重合体は、血液中と同様の pH の水溶液中にて会合し、直径が 35 nm のナノ粒子を形成しました。(図 3) 生成した 5-FU 搭載ナノ粒子は、pH 7.4 の血液中を模倣した環境下では薬物放出率が 15% 程度に抑えられており、pH 5.5 のがん細胞内の後期エンドソームを模倣した環境下では、リパーゼと呼ばれる酵素による加水分解が亢進することで 5-FU の高い放出が認められました。さらに、ナノ粒子の薬物放出性は、Korsmeyer-Peppas 式を用い実測値の予測が可能であることを明らかにしました。
また、種々の濃度に調製した 5-FU 搭載ナノ粒子の水溶液を膵がん細胞に投与し、その細胞障害性を評価しました。比較検討として用いた 5-FU 陽性群 (IC50=60 μg mL-1) に比べ、5-FU 搭載ナノ粒子 (IC50=80 μg mL-1) は僅かに殺細胞効果が劣っていたものの、160 μg mL-1 の濃度では 5-FU 陽性群よりも優位な細胞障害性を示しました。細胞障害性に関する結果が、ナノ粒子と膵がん細胞との相互作用ならびに細胞取込後のナノ粒子の細胞内動態に起因すると考え、蛍光物質を修飾したナノ粒子を調製し、それを投与した膵がん細胞の共焦点顕微鏡観察を行いました。(図 4) 細胞の形態を示す位相差顕微鏡像とナノ粒子に修飾した蛍光物質由来の緑色の蛍光像の重ね合わせから明らかなように (図 4 の左から 2 番目)、膵がん細胞の中にナノ粒子が移行している様子が認められました。また、細胞の核を染色した青色の蛍光像とナノ粒子由来の緑色の蛍光像を重ね合わせると (図 4 の最も右側)、核周囲の細胞質中にナノ粒子が集積している様子が認められました。また、膵がん細胞によるナノ粒子の取込量の経時変化について解析したところ、6 時間でナノ粒子由来の蛍光強度は最大となり、その後定常化することが明らかとなりました。
以上の知見より、環境負荷低減型反応により合成したデキストランを基盤とするグラフト共重合体は、5-FU を膵がん細胞に送り込む有用な微粒子としての医療応用が期待できます。本研究成果は、岐阜薬科大学 薬物送達学大講座 薬品物理化学研究室の 土井 直樹 講師、近藤 伸一 教授らによるものであり、International Journal of Biological Macromolecules 誌 (3 years-Impact Factor=9.14) に公開されました。
本研究成果のポイント
- 溶媒や触媒を用いないクリーンな環境で、デキストランのメカノラジカルを開始剤とした抗がん剤 (5-FU) 結合型モノマーの重合が進行し、新規グラフト共重合体を合成しました。
- 得られたグラフト共重合体の会合により、膵がんへの移行の期待できる粒子サイズを有する 5-FU 搭載ナノ粒子を調製しました。
- 5-FU 搭載ナノ粒子の薬物放出性は、Korsmeyer-Peppas モデルによって予測が可能であり、がんエンドソーム環境を模倣した pH においてリパーゼによる加水分解が亢進し、その他の条件よりも 5-FU の高い放出が認められました。
- 膵がん細胞の細胞質中にナノ粒子が長時間にわたり集積することを見出しました。
論文情報
- 雑誌名:International Journal of Biological Macromolecules
- 論文名:Dextran-based nanoparticles with 5-FU-conjugated polymethacrylate segments for drug delivery: Synthesis of amphiphilic graft copolymers by mechanochemical solid-state polymerization and characterization
- 著者:Naoki Doi, Yukinori Yamauchi, Yasushi Sasai, Kaho Suzuki, Masayuki Kuzuya, Shin-ichi Kondo
- DOI番号:10.1016/j.ijbiomac.2024.132950